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映画史を震撼させた「超問題作」の真実
公開日:2025年12月26日
更新日:2025年12月26日
目次
映画史を震撼させた「超問題作」の真実
「阿鼻叫喚 罵詈雑言 暴・君・再・来」――公開当時、映画史を震撼させた「超問題作」として語り継がれる『カリギュラ』が、究極の「本当の姿」で令和に降臨します。オリジナル公開から45年ぶりに蘇った、真の姿の豪華絢爛歴史スペクタクル巨編を、ぜひその目で確かめてください。
本作は、1976年にペントハウス誌の創設者であるボブ・グッチョーネが、映画史上最高額の製作費を投じて製作した大作映画『カリギュラ』の新編集版です。当時の『スター・ウォーズ』(1977年)の約2倍にあたる46億円もの巨費が投じられました。
製作には、脚本にゴア・ヴィダル、監督にティント・ブラスを起用。さらに、イギリスの著名な舞台俳優が数多く出演するなど、公開前から多くの期待を集めていました。しかし、製作中に様々なトラブルに見舞われることに。完成時には製作費は2倍に膨れ上がり、脚本家やスタッフらが訴訟を起こす事態に発展しました。撮影完了後には、監督は解雇され、編集と音楽の担当はクレジットを拒否するなど、まさに波乱の連続でした。
トラブルを経て、1980年にようやく公開された『カリギュラ』は、観客だけでなくキャストにも衝撃を与えました。グッチョーネが勝手にポルノシーンを付け加えたり、勝手に脚本を書き換えたものが公開されてしまったからです。批評家からは「価値のないゴミ」や「倫理的ホロコースト」と酷評され、フィルムは警察に押収され、わいせつ罪にも問われる事態となりました。
しかし、公開時には異例の興行収入を記録し、今でも世界的に高い人気を誇っています。あれから45年。破棄されていたと考えられていたフィルムが奇跡的に発見され、幻となっていたオリジナル『カリギュラ』が復活を果たしました。
本作は、発見された90時間以上の映像と音声を再編集したもので、1980年に公開された『カリギュラ』とは全く異なる新たな作品が誕生しました。これこそ、映画史上最高額の製作費を誇り、歴史上最も退廃的とされた人物を描く歴史大作映画、本物の『カリギュラ 究極版』なのです。
本来のテーマであったはずの「絶対的な権力は、絶対的に腐敗する」という政治的風刺は伝わらず、製作者たちの気持ちは晴れることがなかったと言われています。それから約45年の歳月を経て、もう失われたと考えられていた本編全素材の現存が明らかにされた時、改めて当時の制作者たちによる本当に描きたかった真の『カリギュラ 究極版』が、現代の21世紀に蘇りました。奇しくも世界がまさに絶対的な権力に対する不安を持つこの時代に。製作費46億円を投じた豪華絢爛歴史スペクタクル巨編の世紀の大問題作がこの世に蘇るのは偶然か、必然か。全てが生まれ変わったオールニューバージョン、二度と見られない圧倒的な問題作をその目で確かめてください!

ローマ皇帝カリギュラの狂気:物語の核心
紀元一世紀前半、ローマ帝国の王室は第二代ローマ皇帝・暴君ティベリウス(ピーター・オトゥール)の下で堕落しきっていました。初代皇帝の曾孫であるカリギュラ(マルコム・マクダウェル)は、祖父であるティベリウスの異常性癖に辟易しながらも、重度の性病に侵される姿を横目に、その王座を虎視眈々と狙っていました。
やがてティベリウスは病床に臥せ、この好機を逃さなかったカリギュラは親衛隊長マクロと共に暗殺を企て、ローマ皇帝の座を強奪することに成功します。第三代ローマ皇帝となったカリギュラは、世継ぎのためにカエソニア(ヘレン・ミレン)という淫乱女を妻に迎え、本格的な統治を開始します。初めは民衆から絶大な人気を得ていましたが、内なる欲望を抑えきれず、徐々に暴君の片鱗を見せ始めるのでした。
豪華キャストが織りなす狂乱の世界
本作には、映画史に名を刻む名優たちが集結しました。彼らがどのように狂乱のローマ帝国を演じ切ったのか、その魅力に迫ります。
カリギュラ by マルコム・マクダウェル
第三代ローマ帝国皇帝。先代皇帝・暴君ティベリウスの孫にして、稀代の独裁者として悪名高い人物です。皇帝就任後、民衆からの支持は高かったものの、側近や元老院を軽視した政策を実行し、絢爛豪華な日々を過ごします。
1943年イギリス、ウェストヨークシャー州生まれ。『If もしも‥‥』(1968年)でデビューし、『オー!ラッキーマン』(1973年)『ブリタニア・ホスピタル』(1982年)で同役を再演しています。その後、スタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』(1971年)の主役アレックスを演じ、世界中に強烈な印象を残しました。『Suing the Devil』(2011年)や『エグザム:ファイナルアンサー』(2013年)で主演を務め、『テルマがゆく!93歳のやさしいリベンジ』(2024年)や『The Partisan』(2024年)などにも出演し、近年でも活躍されています。
カエソニア by ヘレン・ミレン
カリギュラの妻。カリギュラの即位後、妹の提案で正妻を決める祭壇に選ばれました。浮気癖があるという噂が立つほどの淫乱妻として描かれています。
1945年イングランド・ロンドン生まれ。1966年に舞台でデビューして以来多忙を極め、1967年、『Herostratus』でスクリーンデビューを果たしました。『オー!ラッキーマン』ではマクダウェルと共演し、『長く熱い週末』(1980年)『エクスカリバー』(1981年)『ヒッチコック』(2012年)、『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(2015年)、『ロング,ロングバケーション』(2017年)など数多くの映画作品に出演されています。2003年には演劇界への貢献が認められデイムを叙勲。映画でも2007年に『クィーン』でアカデミー主演女優賞を受賞しました。直近では『バービー』(2023年)にてナレーターとして出演し、Netflix配信の『木曜殺人クラブ』にて主演として出演を果たすなど、その活躍はとどまるところを知りません。
ティベリウス by ピーター・オトゥール
第二代ローマ帝国皇帝。異常性癖の持ち主で、色欲に溺れる日々を過ごしているため重度の性病を患っています。
1932年アイルランド生まれ。名門の王立演劇アカデミーで演技を学び、1950年代半ばからジョン・オズボーンの戯曲『Look Back In Anger』や『Pygmalion』などの主要な舞台作品で主役を演じました。1960年に『海賊船』で映画デビュー。その後『アラビアのロレンス』(1962年)の主役を演じ、瞬く間に世界的映画スターの一人となりました。『おしゃれ泥棒』(1966年)『将軍たちの夜』(1967年)『冬のライオン』(1968年)『マーフィの戦い』(1971年)、『スタントマン』(1980年)、『プランケット城への招待状』(1988年)などの映画で圧倒的な存在感を維持しました。アカデミー賞の最優秀男優賞に8回もノミネートされ、2002年には名誉アカデミー賞を受賞。2013年に胃がんで亡くなられました。
ネルバ by ジョン・ギールグッド
ティベリウスの良き理解者。唯一、ティベリウスに進言できるほどに信頼されていますが、善人すぎるが故にティベリウスの悪政を嘆いています。
1904年イギリス、ロンドン生まれ。10代より王立演劇学校で学び、1921年から舞台デビュー。1953年にナイトに叙勲されました。『ベケット』(1964年)でアカデミー助演男優賞ノミネート、『ミスター・アーサー』(1981年)で同賞を受賞しています。他に『80日間世界一周』(1956年)『オリエント急行殺人事件』(1974年)『エレファント・マン』(1980年)『炎のランナー』(1981年)『ガンジー』(1982年)『プロスペローの本』(1991年)『シャイン』(1996年)『エリザベス』(1998年)など、数々の名作に出演。2000年に96歳で老衰で亡くなられました。
ドルシラ by テレサ・アン・サヴォイ
カリギュラが溺愛する最愛の妹。実の兄と身体を重ねるほど愛し合っているとされています。
1955年イギリス、ロンドン生まれ。1970年代初頭、『Le farò da padre』(1974年)で映画デビューし、その後1976年にカンヌ国際映画祭で上映された『Vizi privati, pubbliche virtù』(英題:Private Vices, Public Pleasures)(1976年)に出演しました。ティント・ブラス監督は彼女に『サロン・キティ』(1976年)でスパイ兼娼婦役をオファーし、マリア・シュナイダーが『カリギュラ』を降板した際には、彼女に代役を依頼しています。その後『蒼い本能』(1989年)などテレビや映画などに出演し、1989年に引退しますが、『La fabbrica del vapore』(2000年)でカムバック。2017年に癌で亡くなられています。


伝説を創り上げた制作陣の苦悩と情熱
『カリギュラ』の制作は、単なる映画製作の枠を超え、関係者たちの情熱と苦悩が渦巻く一大ドラマでした。その中心にいた主要なスタッフをご紹介します。
主要撮影:ティント・ブラス
1933年イタリア、ミラノ生まれ。1960年代のイタリア映画界を揺るがした監督の一人です。彼の最初の長編映画『In Capo al Mondo』(1963年)は、ヴェネツィア国際映画祭で上映され、大きな話題を呼びました。この映画の劇場公開にあたり、検閲委員会はいくつかのカットを要求しましたが、ブラスはそれに応じませんでした。最終的に、政府関係者の交代によりこの映画のディレクターズカット版の公開が許可されたという逸話があります。
その後、20世紀の大革命に関するドキュメンタリー『革命の河』(1964年)が制作され、この映画も再びヴェネツィア国際映画祭で上映されました。ブラスは当時人気のあったジャンルであるコメディ(『Il disco volante』(英題:The Flying Saucer、1964年)、西部劇(『Yankee』、1966年)、サスペンス(『危険な恋人』、1967年)など、これらのジャンルを探求しながらも常に個人的なタッチと独特な視点を持ち込みました。ドラマ『SEX白/黒』(1968年)は当時の典型的な作品であり、監督の珍しいアプローチを示すものでした。1976年に公開されたナチスドイツ時代のベルリンの売春宿の実話を描いた作品『サロン・キティ』は現在でも物議を醸しています。この映画で、彼は自分が『カリギュラ』の舵を取るのにふさわしい人物であることを証明しました。『カリギュラ』の撮影で疲れ果てた彼は、次の長編映画「Action」(1980年)の製作を全面的に手がけることを決意しました。『鍵』(1983年)以降、彼はエロティック映画を専門とするようになり、『ミランダ 悪魔の香り』(1985年)や『パプリカ』(1991年)など、このジャンルの象徴的な古典作品をいくつか監督しました。2010年代以降、何度かカメラの前に登場しているものの、ティント・ブラスは2009年のエロティックな短編『Hotel Courbet』以降、監督作品を作っていません。
脚本:ゴア・ヴィダル
1925年アメリカ、ニューヨーク州生まれ。1948年に同性愛者の主人公を描いた3作目の小説『都市と柱』でアメリカ文学界を揺るがしました。彼の作品のほとんどはアメリカ社会を扱ったものですが、大背教者、ローマ皇帝ユリアヌスを描いた『ジュリアン』(1964年)など歴史小説も書いています。
1950年代半ば、彼は映画、テレビ、舞台の仕事を始め、最初の仕事は『ベン・ハー』(1959年)のリライトでした。『カリギュラ』では、歴史的なレンズを通して登場人物と時代にアプローチを試みました。しかし、脚本が書き直され、自分の作品とは無関係と見なした映画が公開されたため、彼は『カリギュラ』製作との関わりを否定しました。彼のオリジナル脚本はウィリアム・ハワードによって小説『ゴア・ヴィダルのカリギュラ』として脚色されました。2012年に死去されています。
製作総指揮:ボブ・グッチョーネ
1930年アメリカ、ニューヨーク州生まれ。エロティック雑誌「ペントハウス」を創刊して名声を博しました。1965年にイギリスで創刊され、その後1969年にアメリカで出版されたこの雑誌に登場するモデルたちの写真を撮影していたのが彼でした。「ペントハウス」が「プレイボーイ」など多くの男性誌よりも露骨な内容を提供し、出版界を震撼させるのに時間はかかりませんでした。
「ペントハウス」は過激なエロティックだけでなく、さまざまな重要な政治・社会記事も掲載していた斬新さにより成功し、グッチョーネはすぐに億万長者になりました。オンラインでポルノがますます入手しやすくなると「ペントハウス」は90年代後半までに財政難に陥り、2003年に倒産しました。この雑誌はそれ以来、何度か所有者が変わっています。2010年に癌で死去されました。
究極版プロデューサー:トーマス・ネゴヴァン
1971年アメリカ、イリノイ州生まれ。1995年に自身のロックバンド「スリー・イヤーズ・ゴースト」を結成し、2011年にほぼ1世紀ぶりとなる旧式の技術で録音したシングルをリリースしました。アートにも精通するネゴヴァンは、1999年に象徴主義やドイツ表現主義を専門とするプライベート・アートギャラリー「センチュリー・ギルド」を設立。ギャラリーには希少な陶器やアートポスターを展示したほか、無声映画のアートポスターなども熱心に取り扱っていました。シカゴにあったギャラリーは、現在では閉鎖されておりカリフォルニア州カルバーシティに移転しています。
さらに、作家、編集者としての側面も持ち合わせており、2006年に『The Union of Hope and Sadness: The Art of Gail Potocki』を執筆・監修し、2010年には、カタログ『Grand Guignol: An Exhibition of Artworks Celebrating the Legendary Theater of Terror』を出版。2016年には20年間の研究と3年間の執筆を経て、『Le Pater: Alphonse Mucha’s Symbolist Masterpiece and the Lineage of Mysticism(邦題:ミュシャの象徴主義的傑作と神秘主義の系譜)』を出版し、ロジャー・ディーンやアレックス・グレイをはじめとする多くのアーティストから賞賛されました。
制作秘話:トラブル続きの撮影現場
オリジナル版『カリギュラ』の制作過程は、多くの論争と逸話に満ちていました。その一部をご紹介しましょう。
癖の強い三つ巴の戦い
資金面は、「ペントハウス」誌の創設者であるボブ・グッチョーネによって調達されました。彼は1960年代から1970年代にアメリカで大人向けの雑誌事業を起こした裕福なビジネスマンであり、70年代初めから映画製作に投資をしてきた人物でした。『カリギュラ』での彼の野望は、自ら発刊した雑誌と同じで、エロティック映画というジャンルでこれまでに作られたものとはかけ離れた壮大なポルノ映画の大ヒット作を作ることでした。脚本は小説家のゴア・ヴィダルによって執筆。彼は1950年から60年におけるアメリカ文学のキーパーソンであり、テレビや映画の仕事も時々請け負っていました。最終的に監督は、イタリア人のティント・ブラスが監督の椅子に座ることになりました。ブラスはエロティック映画を得意とする監督として有名でしたが、ジャンルからジャンルへと渡り歩き、ウエスタンからラブコメ、ドラマ作品もこなしていました。彼が『カリギュラ』の監督をオファーされたのは、当時の最新作で物議を醸したエロティックな戦争映画『サロン・キティ』(1976年)がきっかけでした。
グッチョーネ、ヴィダル、ブラスは、共通点がほとんどなく、気心が通じ合うことのない、強情な3人であったのは有名な話です。グッチョーネは、色を好む快楽主義者であり、ヴィダルは政治的関心が強い左翼のインテリで、ブラスは常識の枠を超えたアナキストの傾向のあるフィルムメーカーでした。事実、この3人は同じプロジェクトに携わっていながら、心に描く『カリギュラ』はそれぞれ大きく違っており、映画の方向性においては、むしろ正反対だったと言われています。
キャスティングと脚本改変の舞台裏
グッチョーネはこの映画に相当な期待を寄せ、一流俳優のキャスティングを希望しました。そしてすぐさま3人の名のある俳優がこのプロジェクトに加わりました。カリギュラ役のマルコム・マクダウェル、そして一流のベテラン俳優、ジョン・ギールグッドとピーター・オトゥールです。しかしながら、ブラスは監督業だけではなくヴィダルの脚本を脚色するためにも雇われていて、彼には他のアイデアが浮かんでおり、ヴィダルの書いたものが気に入らなかったのです。ホモセクシャリティが際立つヴィダルの脚本には、マクダウェルもグッチョーネも難色を示していたため、グッチョーネを味方につけたうえで、監督と主演俳優が脚本を全面的に書き換え始めました。
そうして、ブラスが脚本に加えた初期の修正をヴィダルに見せたとき、彼は自分の書いたものを一言でも変えることを拒絶しました。その時以来、ヴィダルとブラスは口をきかなくなり、新聞を含むメディアを介してのみコミュニケーションを取り、お互いを激しく非難し合いました。そしてグッチョーネが製作チームにプレッシャーをかけると、制作準備が一気に動き始めました。主な撮影日が組まれ、ブラスにはアシスタントと、プロダクション・デザイナーと衣装デザイナーがあてがわれましたが、彼らに与えられた作業期間はわずか1か月半でした。1か月半、クルーたちはセットや衣装を作り、衣装合わせをし、リハーサルを行ったのです。
男性エキストラのキャスティングはペニスのサイズをもとに決められ、大きいか、長いか、そういったことでエキストラは雇われました。何百というペニスの写真が撮られ、それをもとにブラスはキャストを選んだと言われています。撮影はまだ始まっていなかったのに、『カリギュラ』はすでにローマの芸術界で大きく知れ渡っており、グッチョーネは取材を拒否して制作関係者以外、誰もセットに近づけないようにして悪い噂が立たないようにしました。当時の広報担当者は、馬との獣姦シーンは撮影されていない、と報道で明言しなければならなかったほどです。撮影面では、グッチョーネがブラスをとても気に入っていたためスムーズにいきました。しかしブラスはグッチョーネが彼の雑誌で宣伝していたようなポルノ映画の類の作品にするつもりはなく、もっと気骨があり、もっと現実的で、露骨で、破壊的なものを目指していたのです。
壮絶な撮影現場とスタッフたちの奮闘
主な撮影は1976年の7月末から8月初旬に始まり、そのほとんどはブラスが『サロン・キティ』(1976年)を撮影したローマのディア・スタジオで行われました。しかし“常軌を逸したハーレム”用のスタジオは予算の都合上、ローマのはずれに建設。同じようにスブッラ地区のシーンもカラカラ浴場で撮影されました。ブラスはどのシーンも撮影に3台のカメラを使い、トータルで65万フィートのフィルムが使われ、300人以上のスタッフが携わりました。16週間の撮影予定が組まれ11月後半に撮影は終了の予定でしたが、結局撮影スケジュールは大幅にオーバーしました。
撮影監督はブラスの映画のすべてを担ってきたシルヴァーノ・イッポリティが担当。プロダクション・デザインはダニーロ・ドナーティが担当しました。彼はフェデリコ・フェリーニ監督の『フェリーニのローマ』(1972年)や『フェリーニのアマルコルド』(1973年)で壮大で大げさなセットを作った顕著な人物です。有名なスタッフの中には『最後の晩餐』(1973年)料理人役として出演しシェフ兼俳優として活躍していたジュゼッペ・マフィオリもいて、クレジット表記はされなかったものの饗宴を仕切っていました。慌ただしいプリプロダクションでは、セットは撮影時にすべて完成しておらず、美術部門はいつも作業に追われており、セットの未完成の部分を避けるようにしてブラスとスタッフは撮影していました。それにもかかわらず、ドナーティのプロダクション・デザインは驚くほどの美しさを保っていました。そのため、まだ撮影の最中だというのにボブ・グッチョーネはドナーティの贅沢な作品を展示したがる美術館探しに乗り出していました。誰も同意していないのに別の作品で同じセットに使うことも考えていたと言います。
制作中のアクシデントと心臓発作の連鎖
制作初日、女性のエキストラの一人がイタリアの大型犬、ナポリタン・マスティフに襲われました。この大型犬はアリーナでライオンと戦うシーンのために連れてこられていたのです。腕から血を流し、彼女は病院へと救急で運ばれましたが、ブラスはカメラマンが誰もその光景を撮影していなかったことにひどく腹を立てたと言います。これは撮影中に起こった多くの事故の最初の事故に過ぎませんでした。
護衛が腸を抜き取られるシーンでは、その俳優が演じている最中に本当に剣で刺されることがありました。それまでのリハーサルでは、ピーター・オトゥールは護衛が持っている袋を剣で突き通すのに苦労していました。その袋は護衛の腸に見立てたもので、中にはごみとチーズが詰められていたのです。最後のテイクの時に、オトゥールは本物の剣をあまりにも強く突き付けたため、その俳優の肋骨を突き抜けてしまったと言います。そのシーンで俳優の叫び泣く姿があまりに説得力がありすぎたのは、実際に起きたことだったからなのです。ブラスは真に迫ったリアクションを細部に渡り求めていました。気に入らなかった乱交の饗宴シーンでは、参加していたペントハウス・ペット(月替わりのモデル)の一人を相手にオーラルセックスをしてみせ、自分の狙いを示したという衝撃的なエピソードも残されています。
撮影期間は16週間と長く、また残業も伴うため、かかる費用は莫大なものでした。スケジュールの遅れは、いろんなトラブルがあった上、アクションが複雑だったことでブラスの肩に責任が重くのしかかりました。またカリギュラの妹役のマリア・シュナイダーがリハーサルの際に監督と口論になり現場を去ったことで、さらに別の問題が起き上がりました。マリアは体のラインを見せるために脇が開いたドレスを着る予定でしたが、彼女は裸が見えないように衣装のアシスタントの一人にその開いた部分を上から下まで縫うように頼んでいたのです。ブラスは怒ってそのアシスタントを脅しにかかりました。シュナイダーはギリギリのところでテレサ・アン・サヴォイに交代させられました。テレサは『サロン・キティ』(1976年)ですでにブラスが起用したことがある女優だったため、この問題はすぐに解決されました。
しかし、問題が山積みとなりセットでは未払いなどによりスタッフの緊張感が増していき、ある夜、自宅に戻った監督は心臓発作に見舞われました。ひっきりなしの喫煙とアルコール摂取がおそらく引き金となったのでしょう。彼の妻が心肺蘇生術を試み救命したおかげで、翌日にはセットに復帰できました。しかしさらに心臓発作を起こす者が続きました。特殊効果のスーパーバイザーのフランコ・セリは撮影に入って3か月後に、エキストラへの支払い担当だったマリオ・バシリも彼の事務所で発作が起き、第2アシスタントの一人のジョヴァンニ・ミシェラグノリは11月初期に発作を起こし、辞めています。
撮影はそれでも続行され、予算を大幅に超過しないように、日々、労働組合に加入していない者たちは解雇され、常に過酷なスケジュールをこなしてきたスタッフたちに人手不足の追い打ちをかけることとなりました。そのため、多くの変更が余儀なくされました。牢獄のシーンはもともと、場面に合わせた特別なセットで全て撮る予定でしたが、資金と時間の関係から、制作サイドはセットでの撮影をあきらめ、カラカラ浴場で行いました。撮影は12月まで延期され、すべての出演者たちは腰に布を巻き付けるトーガか、あるいはわずかな布を纏うだけだったため、現場でみな、寒さに震えあがったと言います。そして1976年12月31日、ついにクランクアップとなりました。
公開までの道のりと世界的な反響
撮影の終了は『カリギュラ』の制作の終了となるはずでしたが、そうはなりませんでした。編集がさまざまな問題で泥沼化し、映画の公開は2年以上も遅れたのです。
1977年1月、グッチョーネはクルーの中の一人、ジャンカルロ・ルイを伴ってディア・スタジオのセットに再び戻り、ペントハウス・ペットたちと追加のX指定のシーンを撮り始めました。同じ月、ブラスはすべての映像素材が編集のために送られていたロンドンに飛びました。それから3か月編集を続けていたある朝、ブラスがスタジオに着くと、編集室への入室を禁じられました。グッチョーネが彼を解雇し、自分で撮影したものをもとに編集を始めたのです。ブラスは編集の最終決定権を保持するためにイタリアでグッチョーネを訴えました。しかし1977年、彼はこの裁判に勝ったものの、グッチョーネが編集権を手放すことはなく、このプロジェクトの実権を握りました。ヴィダルにおいては、この映画から彼の名前を削除するが、「ゴア・ヴィダルによるオリジナル脚本からの脚色」と明記することで、グッチョーネと合意していました。最初の訴訟から2年、ブラスもペントハウスとの合意をしなければなりませんでした。そして結果的には「主要撮影:ティント・ブラス」というクレジットになったのです。
映画は1979年カンヌ国際映画祭でプライベート上映として初公開されました。やがて1979年11月にイタリアで公開。その後、数か月、映画は海外で広範囲に公開され、当然のごとくアメリカ、そしてヨーロッパの西側諸国のほとんどの国、南アメリカそしてアジアでも公開されました。批評家からの評判はひどかったものの、フランスやドイツ、日本など多くの国で興行的ヒットとなりました。
そして、この映画がイギリスの分類検閲審査委員会に提出されると反応は熱を帯びました。1980年にこの映画のプリントがイギリスに到着すると、税関によって差し押さえられ押収されました。イギリスの配給会社はBBFC(全英映像等級審査機構)に審査してもらうため提出を頼みましたが、BBFCの外部で試写することはできないと言われ、もし映像をカットする必要があるなら、その場で作業しなければなりませんでした。グッチョーネの弁護士と編集者とBBFCトップのジェームス・フェルマンは映画の再編集に取り掛かり始めました。当初は10分程度がカットされるのみに留まりましたが、フェルマンと彼の同僚は満足してなかったため、さらなるカットがされることとなり、追加で4分の削除が行われました。トータルで14分のカットにより、ようやく映画が公開されることとなった時、メディアの注目を集めたスキャンダラスな映像部分はなくなっており、観客の落胆を招きました。日本でも少なくとも322カットの修正が公開前に要求されたと言われています。
ひとたび公開されると映画はさらに問題となりました。イタリアの劇場で公開されてから5日、極右派の国会議員が上映停止の訴状を提出しました。アメリカでの公開は最初いくつかの都市では認められず、ボストンもその内の一つで映画は差し押さえられました。1981年に、明確なセクシャルシーンのない新しく短いバージョンが公開されました。1985年1月、X指定の『カリギュラ』がCanal+でオンエアされると、加入者の数が爆上がりしました。これをきっかけに、このネットワークでポルノ映画の放送が始まったと言われています。この映画のオリジナル版が公開されてから何十年の間に、多くのバージョンが世界中で配給されました。上映時間はさまざまで、未公開シーンも編集も違うものでしたが、カルト映画となった『カリギュラ』は、オリジナル版が公開されて以降、多くの映画を志す者や映画ファンを虜にしてきました。

キャストが語る『カリギュラ』:衝撃と本音
『カリギュラ』は、その過激な内容と制作過程のトラブルから、出演者たちにも大きな影響を与えました。彼らはこの作品について、どのような思いを抱いていたのでしょうか。
公開後、主演のマルコム・マクダウェルは劇場にて本作を鑑賞して、ひどく落ち込んだと言います。カリギュラ役に全力を注いでいた彼は、本作の出来栄えにショックを受け、本作から数年は他の映画に出演することができなくなったほどだそうです。さらに、ピーター・オトゥールはポルノ映画に出演させられたとして、グッチョーネとブラスを訴えようとしていたようですが、当時、彼はアルコール依存や精神的に不安定な状態にあったため、この件はうやむやになったと言われています。
しかし、キャスト陣からは批判ばかりというわけではありませんでした。自身を「ヌーディスト」と公表したヘレン・ミレンは、2015年のインタビューにて『カリギュラ』の撮影は
「全員が全裸になって、毎日ヌーディストビーチに行っていたような時間でした。あの映画で服を着ていたら、その方が恥ずかしいと思います。」
と語り、裸の撮影を楽しんでいたことを明かしています。
日本での反響
本作は、製作費1,750万ドルに対し、興行収入2,340万ドルを記録し、全世界的に大ヒットしました。日本でも大ヒットを記録し、批評家たちの酷評とは裏腹に大成功を収めました。
日本では、「カリギュラ効果」という言葉が流行し、「観るな」と言われると無性に見たくなる心理現象を表す言葉として使用されることになりました。芸能界でも「カリギュラ」というキーワードが跋扈し、一時期では芸人のせんだみつおがテレビでこのワードを連呼していたなど、一世を風靡しました。さらに原作は異なりますが、日本では2度舞台化されています。演出・蜷川幸雄、主演・小栗旬の舞台が2007年に上演。2019年には演出・栗山民也、主演・菅田将暉の舞台が行われ、日本では「カリギュラ」という言葉は多くの世代で広く認知されているのです。
幻の真実が今、蘇る!『カリギュラ 究極版』の全貌
70年代からある一つの疑問が存在していました。「もしボブ・グッチョーネがこの映画にちょっかいを出さなければどんな映画になっていたのか?」新しい世紀の始めを迎えてから、別のバージョンを作ってみようというプロジェクトがいくつか立ち上がっていましたが、実現はできませんでした。そして今、ついに完成したのです。
新編集版誕生の経緯
2020年1月発行の「ペントハウス」誌によれば、オリジナルの『カリギュラ』の素材が保存されており、ペントハウスは『カリギュラ』誕生から40周年を祝い、作家でありアーキビストでもあるトーマス・ネゴヴァンに、ゴア・ヴィダルのオリジナル脚本に沿い、そのフィルムでの新たな編集で『カリギュラ 究極版』の制作を委託していたことを発表しました。この3時間の新編集による映画は2023年公開前にカンヌ国際映画祭でプレミア上映されることとなり、当時の『カリギュラ』には使われていない映像ばかりで、すべて新しいパフォーマンスと未使用シーンで物語は構成されており、これこそがもともと作られるはずのものであったと発表されたのです。
オリジナル版との驚くべき相違点
『カリギュラ 究極版』は、単なるリマスター版ではありません。オリジナル版とは全く異なる、まさに「究極」と呼ぶにふさわしい進化を遂げています。
・この新編集ではフレームごとに完全に修復されており、傷や損傷はすべて取り除かれています。
・オリジナルの90時間を超えるフィルムは4Kに変換されており、オリジナル本来の脚本に沿って編集されています。
・より力強く説得力があり繊細な演技のテイクが選択されており、80年の公開版とは完全に違うカメラアングルのカットを使用しています。
・サウンドデザインも音楽も全く新しく生まれ変わっています。
・1980年の公開時には全く欠落していた物語が復元されています。
・究極版での会話は、すべてロケーションで録られた参考音源から作られています。AIとカッティングエッジの録音技術を駆使し、セットでの機械音は録音テープから取り除かれており、歴史的に失われていた1976年のパフォーマンスを復元しています。
・80年の公開版で主演女優テレサ・アン・サヴォイの会話は他の声優の声に吹き替えられていましたが、究極版ではテレサの声を復元しています。
・制作の制約のため、オリジナルのセットの精巧に作られるべきものは、その場しのぎのカーテンやペンキを塗った背景で出来上がっていましたが、この究極版では、フラットな背景は古代ローマの世界をより説得力のある景色で見せるためVFXを駆使して仕上げています。
・元々の脚本にはオープニングシーンが含まれていましたが、80年の公開版に反映されていなかったため、『カリギュラ 究極版』ではオープニングクレジットのために有名なグラフィックノベルアーティストで、ジム・ヘンソン・カンパニー製作の『ミラーマスク』(2005年)の監督でもあるデイヴ・マッキーンによってオープニングシーンはアニメーション化されています。
作品情報
出演:マルコム・マクダウェル/ヘレン・ミレン/ピーター・オトゥール/ジョン・ギールグッド/テレサ・アン・サヴォイ
製作総指揮:ジャック・シルバーマン
製作:フランコ・ロッセリーニ/ボブ・グッチョーネ
脚本:ゴア・ヴィダル
主要撮影:ティント・ブラス
究極版プロデューサー:トーマス・ネゴヴァン
© 1979, 2023 PENTHOUSE FILMS INTERNATIONAL
2023年/アメリカ・イタリア合作/178分/R18+
提供:ハピネットファントム・スタジオ/シンカ
配給:シンカ
宣伝:ガイエ
編集部まとめ
映画史にその名を刻む『カリギュラ』が、45年の時を経て、ついに真の姿で蘇ります。製作中の数々のトラブル、公開後の賛否両論、そして「カリギュラ効果」という言葉まで生み出したその影響力は計り知れません。今回公開される『カリギュラ 究極版』は、幻とされていたオリジナルフィルムを最新技術で修復・再編集し、本来描かれるべき物語と映像が初めて世に出る機会となります。
「絶対的な権力は、絶対的に腐敗する」という普遍的なテーマを、これほどまでに過激かつ芸術的に描いた作品は他に類を見ません。豪華キャスト陣の熱演、そしてティント・ブラス監督が本当に描きたかった世界が、今、私たちの目の前に広がります。映画ファンならずとも、この歴史的瞬間をぜひ劇場で体験してみてください。きっと、あなたの心に深く刻まれる一本となることでしょう。
著者
あつめでぃあ編集部
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